ラフカディオ・ハーン『怪談・奇談』
角川文庫クラシックスの田代三千稔訳 ラフカディオ・ハーン『怪談・奇談』
様々な訳がある中、天野喜孝氏のカバーが気に入り購入。平井呈一訳の岩波版より読みやすかった。
- 作者: ラフカディオハーン,Lafcadio Hearn,平井呈一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1965/01
- メディア: 文庫
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岩波版は、作中の歌がちゃんと旧かなで引用されているのが好印象。しかし『蓬莱』の始めはなぜか新かなだった。どういう区別なのか。文語文にはそれ相応の仮名遣いでなければしっくりこない。という拘泥は置いておいて。
『耳なし芳一』『雪おんな』『ろくろ首』など、おなじみの怪談の他にも、なんとなく知っている話がちらほら。『興義和尚のはなし』なんかは上田秋成『雨月物語』の夢応の鯉魚、『はかりごと(岩波版:かけひき)』は、漫画のぬ~べ~で読んで非常に興味深く思った話だった。
怪談話といっても怖い話ばかりでなく、というか怖い話はあまりなく、幻想的な話が多い。その中でも『青柳のはなし』が良かった。自分に教養があれば漢詩の部分でもっと心動かされていただろうけど、そういえば岩波版には漢詩の下に書き下し文が載ってあったが、角川クラシックス版には載ってなかった。
基本的には日本の古典から採られているが、中国から来た話もあるようだ。
『安芸之介の夢』がそれであるが、これを読んでまず思い出したのは、邯鄲の夢(邯鄲の枕)の話。読み進めると、蝶が印象的に描かれていることもあって、胡蝶の夢の話を想起させる。なるほど両方とも中国の話。
岩波版には、『怪談』のあとに『虫の研究』が収められていて、そこに蝶と蚊と蟻について書かれている。
とりわけやはり蝶の話には引き込まれた。蝶は生きた人間の魂であるとか、はたまた死者の亡霊であるとか、かなり興味深い。胡蝶の夢の話も、蝶=魂だと考えれば別な解釈ができそうだ。
あれにもこれにも魂が宿ると思えば、物をぞんざいに扱えない。あと中古品買うの怖くなる。泣く泣く売ったものだったとしたら嫌だなあとか。うちには古本がたくさんあるけど、もしかしたら色んな念が渦巻いているかもしれない。優しくて賢いおじいちゃんの魂とかだったらいいな、頭よくしてください。