-

廣川奈々聖と万物照応

 

古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでゐることである。

我我の──或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死んでゐることである。

 

 

芥川龍之介侏儒の言葉』から引いた。この小論に取り掛かる上で、私はこれを痛感する。文字盤を叩けば叩くほど、彼女の玻璃性の繊細なる心像に罅が入っていくのではないか。そんな不安に苛まれながらも、私は書く。侏儒なる私の憧憬を、親しげなる眼差しもて見送ってくれる廣大さ、これを彼女の裡に證明できるものと同時に信ずるから。

 

 

四月二十二日以降、私が憑り付かれている Correspondances という概念。発端は、フルバンドライブの転換で流れた、わーすた五人がそれぞれの担当カラーに応じた性質の五大陸を旅していくという映像。振付の高田あゆみさんが書いていた解説で、廣川奈々聖のグリーンが「木」であると知り、途端にわが脳髄はこの詩に支配された。

 

 

照應(コレスポンダンス)

 

自然は神の御社にして、その生ある柱は

時折り朧ろの言葉を洩らす。

人、象徴の森を經てそこを過ぎゆき、

森、親しげなる眼差しもて人を見送る。

 

暗く深き統一の中に遠方より

混り合ふ長き反響のごとく、

夜のごとく光のごとく茫漠として、

馨と色とまた音は相呼び相應ふ。

 

幼兒の肌のごとく爽やかに、木笛のごとく

和やかに、牧場のごとく緑なる、馨あり。

──また、饐ゑたる、豊かなる、誇りかなる馨は、

 

龍涎、麝香、安息香、燻香のごとく、

限りなきものの姿にひろがりゆき、

精神と官能の悦びの極みを歌ふ。 (村上菊一郎訳)

 

 

La Nature est un temple où de vivants piliers
Laissent parfois sortir de confuses paroles ;
L'homme y passe à travers des forêts de symboles
Qui l'observent avec des regards familiers.

 

Comme de longs échos qui de loin se confondent
Dans une ténébreuse et profonde unité,
Vaste comme la nuit et comme la clarté,
Les parfums, les couleurs et les sons se répondent.

 

II est des parfums frais comme des chairs d'enfants,
Doux comme les hautbois, verts comme les prairies,
- Et d'autres, corrompus, riches et triomphants,

 

Ayant l'expansion des choses infinies,
Comme l'ambre, le musc, le benjoin et l'encens,
Qui chantent les transports de l'esprit et des sens.

 

小林秀雄が「『惡の華』一巻は數年來、つまり僕の若年の決定的一時期を殆ど支配してゐた」と書いたように、青い私もボードレールの詠じたこの病める花々に魅了されている。まだほとんどの詩は解せず、この詩もそのひとつだったが。

 

なっちゅん と La Nature(ナチュール)、こんなくだらない類似にも欣喜雀躍してしまう程に、この詩とあの子が繋がった。なっちゅんは「自然」なのだ。

 

見落としてはならない点がある。彼は、そして彼女は、この自然の寵児たること、つまり天才であることを欲しただろうか。

辞書を狂ったように引き、幾度も推敲を重ね、完璧を求めたボードレールと、誰よりも忠実に踊りたい気持ちから、角度まで教わった通り覚えてくる廣川奈々聖。答えは自明である。

浪漫派藝術、ワグナー論にて彼は語る。「私はただ本能にのみ導かれる詩人達を憐れむ。私は彼等を不完全と信ずるのだ。大詩人の精神生活の中には、一危機が必至であり、彼等は己が藝術を推理し、自分が則して制作したその隠微な法則を發見し、その研究から、詩的制作に於ける無謬性を神聖な目的とする一聯の戒律を抽出せんと欲するのである」

 

音楽でも絵画でも文学でも、それは自然発生的な産物ではない。藝術には「人」が要るのだ。すぐれた批評家たる「人」が。

「自然」としてのなっちゅんを「人」としての廣川奈々聖が厳しく批評している。「暗く深き統一の中に遠方より混り合ふ長き反響」は其処より来る。

 

 

私は廣川奈々聖の歌声が好きだ。

不用意に触れたならたちまち壊れてしまいそうなあの繊細さ、ふわっと柔らかな布をかけてくれるがごとき優しさ、微醺を誘う怪しげな馨り、時間を超える煌びやかな光。聴覚が、触覚が、嗅覚が、視覚が交感し、まさに「限りないものの姿にひろがりゆき、精神(l'esprit)と官能(des sens)の悦びの極みを歌ふ」

彼女の歌声こそが、私を高翔させる。──人生の上を飛びめぐり、花や聲なき萬象の 言葉をいとも易々と解し得る身は幸ひなるかな!

 

 

誰が彼女の未来の歌声を想像出来よう。それは感覚の「照応」を知り得ぬ者、彼女の「詩情」を知り得ぬ者、ああ、羨ましくも「無限」を知り得ぬ者だ。

限りなきもの。寄り添うもの。未知なるもの。それが高翔でなく、堕落だろうとも構わない。美しきもの。汝いづこより来たるや。何処でもいい。私はあの馨を求めている。

 

「刹那が各人の秘密を抱いて永遠なる所以」… また少し摑めた気がする。否、死ぬまで解らないかも知れない。